• 雑な生き方を丁寧に記すブログ

帰秋

ただいま秋田県は鹿角市からお送りしております。

ちょい遅めの夏休みを取得し、実家に帰省中。最後に帰ってきたのが2019年の歳末だったような気がするので、だいたい2年と8ヶ月ぶりか?

きりたんぽ発祥の地・鹿角。ちなみに隣の大館市も同じことを謳っている。正直どっちでもいいんだけども。

久々に帰ってきた感じ、所々道路が広くなっていたり、舗装が綺麗になったりしてるところが見受けられるんだけども、一方でその脇に立つ物件は、前よりも空きが増えている気がする。そのコントラストが示すところはつまり、公共の金しか動いてないんじゃないか・・・?大丈夫なのか?

鹿角市の代表駅・鹿角花輪駅前もだいぶ綺麗に整備されていたが・・・

これを通る唯一の路線・花輪線は現在動いておりませぬ。

少し前の豪雨の被害があり、未だに復旧目処が立っていないらしい。つい最近までは振替のバスすら出ていなかったというから、東京に慣れた身からするとのんびりしすぎじゃねえか?と思ってしまうが、まぁ採算合わせるのも一苦労なんだろうな。大館市方面に通う高校生らが乗らんことには2両編成ですらガラガラだろうし、2学期が始まるこのタイミングで振替開始ということなんだろう。

で、その振替バスなんだけども

少ねえ!!

そもそも鹿角花輪 – 大館間の汽車は1日に片道8本程度しか走らん路線だが、それがさらに半減して上り4便・下り4便になってしまった。あまつさえ、大館駅から鹿角花輪方面への終電は、普段でも20:27発という超健康的な時刻表だが、振替バスの最終は19:30。1時間早まっちゃってる!!

部活の練習なんかできないじゃないか・・・。

そして俺もまた、この時刻表に悩まされていた。せっかく久々に帰省したから、高校時代の友人と会おうという話になったのだが、友人は大館市在住。気を遣って車で鹿角まで迎えに来てくれるというので、お言葉に甘えることにしたが、問題は帰りだよな。夕方から飲み始めても19:30のバスに合わせてお開きってのは、どう考えても32歳の同窓会じゃあねえぜ。結局、仕事終わりの父親を大館まで迎えさせる羽目になった。それはそれで30過ぎた大人としてどうなんだって話ではあるが・・・。不便だな、田舎って。

ともかく、久々に会った友人は元気そうだったし、立派な父親をやっていた。まぁ、高校時代はラグビー部の主将で、卒業してからは消防士と、いかにも芯の強い、頼れるタイプの男だったから意外性とかは全くないんだけども。

友人の自宅で飲んでいたので、途中から仕事終わりの奥さんと、保育園帰りのキッズ×2が参戦。ちなみに奥さんも高校時代の同級生である。というか、奥さんの方が俺とは小学校から一緒なので付き合い自体は長い。

なんというか、大学の同期が子供を産んで育てている光景はもう珍しくもなくなってきたが、なまじ幼馴染のように幼少期を知っている人が家で母親やっているのを見るのはほぼ初めてで、なんかこっちのが時の流れをより重く感じるな・・・。

キッズたちは、いかにも暴れたい盛りって感じの3歳児と2歳児で、ホットワードは「おっぱい」「おぱんつ」「うんち」らしい。なんでちびっ子はみんなそういう言葉が好きなんだろう。と思ったが、まぁ男の場合は30過ぎてもおっぱいとかパンツで喜んだりするか。うんちはともかく。そういう意味では3歳児と精神的にあまり変わらないのかもしれない。

わんぱくでも、ちゃんと挨拶もできるし、お土産のお礼も言えるし、両親におねだりする時だけは敬語でお伺い立ててみたりするあたりがめっちゃかわいい。親の躾の良さが出ているな。次に会えるのはいつか分からんが、まぁあっという間に小学生、中学生だろうな・・・。

翌日。

小学校の同級生が母親やって云々とかさっき書いたが、もっと身近な人間が母親やってるのを忘れていた。妹が姪っ子と甥っ子を連れて実家に来た。写真ではちょくちょく見せてもらっていたが、ついに初対面。会いたいと思いつつも上の姪っ子はもう2歳と半年。

ぶ、ぶさかわ〜〜!!!

自分に近しいDNAが入っているだけあって、芋っぽい顔をしておる。どことなく小さい頃の妹を彷彿とさせる。

初めは遠巻きにこちらを観察していたが、徐々に警戒レベルを下げて最終的には一緒にトンボ捕りしたり、サッカーしたり、三輪車でお散歩行くぐらいまで打ち解けてくれた。まぁ、その間実に2時間程度の話だが。

甥っ子の方はまだ生後半年も経たないくらいなので、抱っこされるがままって感じだったが、知らないおじちゃんにプニプニされても全く動じないあたり大物然としている。

次会う時までに俺のこと覚えているんだろうか・・・。

友人宅でも実家でも、嵐を呼ぶ幼児たちのパワフルさに圧倒され、ちょっと遊んだだけで息切れしている32歳。世のママさんパパさんってやっぱゴイスー・・・。

住民の方々には申し訳ないが、やはりこの町は、県は、着実に死に向かっている。日本という国でさえ衰えを隠せないのに、その中で人口減少率No.1を10年も堅持しているのだからそれは誤魔化せないだろう。デイケアや葬祭センターが増える一方で、学校は減り、複数校が合同でも野球の1チーム作るのすらままならん。

しかしそれでも、このチビちゃんたちがここで育っていくうちは、まだ明日は来る。俺らの頃よりヘビーな時代になることは明らかだが、強く生きていってほしい。

彼らが成人迎える頃には俺も50歳あたりか・・・。そんなに生きてられるかがかなり微妙なとこだが、せめてそれまでは若者に迷惑をかけないかっこいいおじたんでいなくては・・・。過疎の山の中で生まれたって、その気さえあれば海越え空越え、どこでどんな生き方だってできるのだと、そういうことを生き様で証明してやれるおじたんでありたい。

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