五十にて 鰒の味を 知る夜かな
小林一茶
9月末に緊急事態宣言が解除された頃、社内ミーティングで社長から「時期を見てまた食事にでも行きましょう」という話があった。今年に入ってほとんど出社していないし、前に社長に焼肉をご馳走になったのは1月のことか。
「何かリクエストある?」と聞かれたので冗談半分で「フグ」と答えていたのだが。
小林一茶は50歳でフグの味を知ったらしいが、俺も俺で30年以上生きてまともにフグという魚を食ったことがない。せいぜい冷凍の唐揚げぐらいだが、祖母の家で冷凍庫から化石化寸前に発掘されたものだったので、味は何ひとつしなかった。フグといえば料亭だし、そういう格式ある店は、金さえあれば入れるというもんでもない。俺みたいな田舎の山の猿にとっては。というわけで、食べるチャンスがあるとすれば社長に連れてってもらうぐらいだろうなと思って答えた。
そしたら今日、社長からチャットで「来週フグ食べに行きましょう!次のプロジェクトについても話したいので」と連絡が来た。
まじで!?
やったぜ。
楽しみすぎる・・・。もはやフグとは実はこの世に存在しない都市伝説なのではないかと思い始めていたところだが、ついに俺も鰒の味を知る夜が来るのか・・・。
ちなみに小林一茶はフグに関しては別の句も詠んでいる。
ふぐ食わぬ 奴には見せな 不二の山
小林一茶
フグを食べないような奴に富士山を見る資格がない。意訳するなら、フグも食べずに日本一を語るな、といったところか。五十になるまで味知らなかった割にはけっこうなイキり様である。ガンジス川で沐浴した女子学生ぐらいの人生観の変化があったようだ。
一説によれば、この句はフグに対して否定的な句を残している松尾芭蕉に対しての皮肉ではないかとも言われている。
河豚汁や 鯛もあるのに 無分別
松尾芭蕉
鯛があるのになんでわざわざ危ないフグ汁なんか飲むんや馬鹿が、という芭蕉のフグ毒に対する恐怖心が表れた句。まぁ、芭蕉の時代まで遡れば、フグの調理法も確立されていなかっただろうし仕方ない気もするが。しかし、当時それだけ危ない魚だと認識されていながら、現代に至るまで食べられ続けているのだからさぞ美味しいんだろうな・・・。
と、フグに興奮し過ぎて「次のプロジェクトについて」というところは深く考えていなかったのだが。
今のプロジェクトの契約は12月いっぱいなので、これが伸びることはなさそうだ。来年はまた新しい仕事か・・・。今回、初めて本格的にプロジェクトに関わらせてもらって、エンジニアの仕事がなんたるものかというのが見えてきた気がする。参画し始めた頃は右も左も分からなかったが、次は初めからもう少しチームに貢献したい・・・。
って、もう総括する気満々になっているが、実際には今のプロジェクトはまさにクライマックス状態だ。開発とテストの波。大波。全体の進捗にも遅れが見え始めていることもあって、12月いっぱいまで気は緩められそうもない。今はまだ目の前に集中していなくては。金曜のフグを心の支えに、来週もまた頑張ろう・・・。
UQ男2021年11月22日 5:38 AM /
フグは食べたことないですね、自分も少し金の余裕ができたら食べに行こうかな